大河ドラマ マニアの俺様ですが、今回の「どうする家康」もしっかり見させてもらってます。
これはこれでおもしろいですね。いくら大御所様と言えども若いころは未熟でビビりと言うのは当然でしょう。
生まれつき大御所ではないんで。人は場数を踏んで成長するものですから。

さて、この大河に出てくる城についてなんですが、先日ネットで岡崎城が「ぼろい」とか「砦レベルじゃん」みたいな書き込みを見ました。
お城好きの方は知っていることですが、あの時期はまだ天守と言われる建築物はありません。安土城天主が建ったころからちらほら流行り始めるんですが、それまでの城は物見櫓(木で骨組みを組んだだけ)で土塁(石垣はない)の城、「砦(とりで)」レベルです。
今のドラマの時期は桶狭間直後なので1560年ごろ。安土城が建つのが1576年ごろとされているので、天守の流行は桶狭間の15年後くらいになります。

石垣もこの室町の時期にはあったんですが、高さ3メートル以下でおもに寺社に使われていました。それ以上の高さを組めるようになるのは安土築城の頃。(一般的に石垣が作れるようになったのは安土城からと言われるのは3メートル以上の高い石垣が!という意味です。低い石垣は飛鳥時代からあったようです。)その後、秀吉が天守と石垣にこだわった城づくりを進め今のイメージの城の形になったんですね。

なので、ドラマの中の岡崎城はあんな感じなんです。

今の岡崎城のもとを作ったのは豊臣政権時代に秀吉配下の田中吉政が造りました。家康が関東に移動になった後に田中吉政が岡崎を領有し、城を土塁から石垣化し瓦屋根の天守を建てました。江戸時代には地震で倒壊してしまいますが、すぐに再建され明治まで残っていました。残念ながらその天守も明治に破却されますが、昭和に再建されたのが今の天守です。この天守は観光用で最上階に廻縁などを付け展望台にされています。まあ、これはこれで昭和の天守と認識すればいいと思います。

ウチで販売しているペーパークラフト岡崎城は江戸時代、地震で倒壊した後に築かれた二代目天守をモデル化しています。この二代目天守は明治初期に撮られた写真が残っています。
45 岡崎城8